「存在」からの「否定」
最近、尾崎豊さんの歌が急に聞きたくなり
私が持っている尾崎豊集から何となく選んだ選曲に
【存在】というのが、ひっかかり何度も何度も聞い
てしまっています。
その歌詞の中に
受けとめよう 自分らしさに
うちのめされても
あるがままを 受けとめながら
目に映るもの全てを
、、、(略)
さあもう一度 愛や誠心で
立ち向かって行かなければ
この部分ばかりが頭に残ってしまい
しかし、先の「自分らしさにうちのめされても」と
いうところは何故かʕ•͡5•?だったんです。
そう思っているとこに、やって来ました~。
そう、そう打ちのめされる出来事が(´゚ω゚`)
私が自分らしく対応していたことに、ある方は
最初に不快に思ってしまったようです。
逆に同じように対応してもそう思わない方もいるか
ら気をつけてね。と優しく教えて下さったのです
が、大丈夫なふりをしてましたが、かなり
かなりダメージ大きかったようです。
(言うまでもなく傷ついたんです)
否定された気持ちになったんですよね。
その方は、怒っているわけじゃないからね。と本当
に丁寧に仰って下さっていましたけど。
私は【否定】
を受け取ってしまいました。
そして、自分で否定と決めてしまったら
誰に何を言われようとなかなかそれを
覆すことが難しい事とどこまでも否定し続けれる。
ということを気づきました。
自分で終わりにしよう!と決めない限り。
後から思ったのですが、私がイメージする
「自分らしさ」とは、否定がなく全肯定くらいの
勢いの「肯定」でした。(他人も同じように)
だから、肯定からの否定でよりダメージが大きかったんだな、とも思いました。
今日は自分らしさから新たに気づかされた事
また、捉え方のお勉強もさせて頂きました。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございます
꒰ ♡´∀`♡ ꒱